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便利さを求めた生活から 安全と心の安らぎを求める生活へ 化学物質、食品添加物を見直して 環境に優しい、身体に優しい生活を始めて頂きたいと願っています

昔日の思い

【Vol.3】いつも家族の中心に囲炉裏の炭火があったような気がします。

投稿日:2019年7月21日 更新日:

家族はいつも囲炉裏の回りに集まり、一緒に食事をしたり談笑したりしていましたので、いつも家族の中心に炭火があったような気がします。

目 次

『昔日の思い』現在社会の忘れ物
・ 炭を暮らしの中に
・ まとめ

『昔日の思い』現在社会の忘れ物

今はもうほとんど無くなりましたが
昔はほとんどの家に土間がありました

カマドでご飯を炊いたり
おかずや味噌汁を作ったり
お湯を沸かしたりしていました

朝起きて最初にやることは
カマドに火を着ける事

カマドの火の着け方を知っている人は
今では、ほとんどいないと思いますので紹介しておきます

カマドに杉の葉を入れその上にバイラを乗せてマッチで火を着けます
バイラの上に小木や薪を乗せて燃やします

杉の葉とバイラは山に取りに行って物置に保管しておけば
いつでも使えます

杉の葉は杉山に行けば枯れて茶色くなったものが落ちています
バイラとは枯れた小枝の事で、やはり山に行って取ってきます

昔は『バイラ取りに行く』と通常使っていた言葉ですが
今ではバイラを取りに行くことも無くなりましたので
バイラといってもほとんどの人は知りません

カマドで薪を燃やすと熾火(おきび)ができます
熾火(おきび)とは薪が燃えたあとの赤くなったものの事で
それを十能を使って囲炉裏に移したり
すぐに使わない時は消壺にいれて消し炭にしておきます

熾火(おきび)を種火にして囲炉裏やコンロで炭火をつくり、
暖をとったり煮物や焼き物を作ったりします。
正月は母親が作ったこんにゃくや厚揚げなどの沢山の煮しめを
囲炉裏で炙って食べました。

大変においしかったことが思い出されます

家族はいつも囲炉裏の回りに集まっていました

一緒に食事をしたり談笑したりしていましたので、
いつも家族の中心に炭火があったような気がします。

家族が寄り添い、
人々が助け合わなければ生きていけなかった
時代が懐かしく感じられます

今は生活が豊かになり便利な世の中になりましたが
毎日が慌ただしく、
いつも何かに追われているような気がします。

炭火の良さが見直されてきたのも、
田舎暮らしやスローライフを求める人が増えてきたのも、
便利さを求める時代から心の安らぎを求める人が
増えてきたという事かもしれません。

炭を暮らしの中に

『炭は水や空気を浄化してくれます。
いろいろな化学製品が出回って便利な世の中ですが、
自然素材を見つめ直して暮らしに炭を取り入れて頂く事で
より豊かな生活を送って頂けたらと願っています。』

昭和30年頃まで、炭は燃料の主役として
日々欠かすことのできない貴重な資源でした。
どの家庭にも囲炉裏や火鉢があって、
人々は炭火のある処に集まり暖をとったり食事をしていました。

また、炭が常に身近にあった時代、
昔の人は炭を様々な用途で使っていました。

1.神社・仏閣の地下には炭を埋め、建物を害虫や湿気から守っています。

2.井戸の底に俵に詰めた炭を入れ、井戸水を浄化していました。

3.冷蔵庫の無かった時代、収穫した野菜や果物を保管するため、
穴を掘って藁を敷き、底に炭を敷いて野菜や果物を保管していました。

4.厠など臭いの気になる処では、炭を籠に入れてぶら下げたり、
置いたりして臭い取りに使っていました。

近年、化学製品の普及によって様々な環境汚染が問題になっています。

炭の持つ優れた特性は、
河川の汚水処理や飲料水の浄化、住宅の調湿、土壌改良など、
あらゆる分野での活用が見直されています

まとめ


現在社
会は便利さを追求して化学物質で出来た様々な商品を開発し
売れる食品を開発するために食品添加物を多用した商品を作ってきました

その結果
確かに生活は便利になりおいしい食品もスーパーで多く売られています

しかし多くの人が何かに追われるかのように、
いつもイライラしながら生活に追われています

現状よりももっと経済的に余裕があって
皆と余暇を楽しみ
身体を健康にして
便利でなくてものんびりした時間がもてて
素朴な食品をおいしく感じられるような
そして
もっと家族と楽しい時間があって
価値観が共有できる人と出会い
助けあって生きていけるようになりたい

このことが私たちの求めるものです

化学物質の汚染は土壌汚染・水質汚染・空気汚染など
多岐にわたり健康障害が発生しています
便利さだけを追い求めるのではなく
安全で安心な生活を実現したいものです

炭は有害物質の除去にたいへん適しています
電化製品でも、化学製品でもありません

 

 

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